田中 弘樹(たなか ひろき)/ 西予市移住コーディネーター(元西予市地域おこし協力隊)大阪出身、元USJクルー。車中泊で日本一周中に西予市と出会い、地域おこし協力隊として西予市に移住してきた田中弘樹さん。3年の任期中、移住コーディネーターとして多くの移住相談に向き合ってきた彼が、いちばん大切にしてきたのは「雑談」でした。取材・執筆 / 津田紫乃(西予市移住コーディネーター)移住相談は、雑談からはじまる人生相談。——移住相談で雑談を大切にする…その心は?(田中)移住相談って、情報を与えるだけじゃないと思ってるんです。支援制度の一覧を渡すだけなら紙で充分でしょう?対面でやる意味はそこじゃないから、まず雑談をめちゃくちゃします。最初は「西予市はご存知ですか〜?」とか、簡単な質問から場をほぐしていって、徐々に移住の動機とか、やりたいことを教えてもらうようにしています。雑談してるとリラックスできるじゃないですか。やっぱりそう言う時の方が本音も出やすいと思うんですよ。そうこう話しているうちに、たまに引っかかる部分が出てきたり。例えばお一人でご相談に来られている方に「ご家族はどう考えてはるんですか?」って聞いてみると、「実はまだ家族には話してないんです…」って本音が出てきたり。移住相談は、人生相談そのものだと思ってます。 ——相談相手の「幸せ」を真剣に考えているんですね。そうですね。どこにいたとしても、その人が幸せに過ごせるかどうかが一番大事だと思うんですよ。なので僕は、相談者さんが地域での生活に向いているかどうかを気にするようにしています。例えば「干渉はされたくない」とか、「誰かがやってくれる」ことを前提とした価値観の方だったら、地域で暮らすとしんどくなると思うんです。集落で暮らすなら声がけや支え合いが前提になってくるので、田舎の実態もできる限り具体的にお伝えして、その上でご本人に判断してもらうようにしています。むしろ、その人の幸せを考えたときに、「西予じゃないかも」と思った時は、もう少し都会寄りな地域や別の市町をおすすめすることもありますよ。だって、幸せになるための選択肢って、たくさんあった方がいいじゃないですか。「相談者さんと仲良くなることが前提。雑談からその人と西予市の接点が見えてくる」と語る、田中さん 求人票と違う仕事、オカンに余命宣告。 ——これまでの経歴をおしえてください!生まれも育ちもずっと大阪で、高校卒業後は冷蔵倉庫の現場で働きました。求人票に書かれていた「週休2日・残業なし」とは程遠く、休日出勤は当たり前だし、零下25度の現場で鼻毛は凍るしで、てんやわんや(笑)。そんな中、オカンが余命3ヶ月という宣告を受けて。休職して介護してたんですけど、宣告期間より長く生きてくれたので、途中で仕事をやめました。結局4年くらいは働かないで、引きこもっていましたね。途中、吉本の芸人養成所に通ったりもしてたんですけど、社会に貢献しているわけじゃないから、心は閉じこもったまま。当時は人間が嫌いで、外を歩く人が全員自分の悪口を言ってるような感覚でした。 ——今、明るく語る田中さんからは想像がつきません。そこから脱するきっかけは? 野球のシーズンが終わったんです(笑)。毎日それだけを楽しみに生きてたのに、シーズンが終わったら何もすることがなくなってしまって。リハビリがてら、コンビニのバイトを始めたんです。その時受け入れてくれたパートのおばちゃんが親切で、本当にあたたかい人で…。おばちゃんのおかげで、僕はまた人が好きになれたんです。「こんなにええ人おるんや!」って。それからは人が嫌いじゃなくなりましたね。 USJクルーになってパレード三昧の日々。——コンビニでのバイトから、今に至るまでのことも教えてください。コンビニのバイトで社会復帰できて、リーマンショックをきっかけに就職を考え始めました。Webデザイナーになりたいという夢ができて、バイトで学費を稼ぎながらWebデザイナーの専門学校に通っていたんです。卒業まで見通せる額が貯金できたのでバイトを辞めたら、計算違いをしていて貯金では賄えないことに気がつき…結果、「アカン、またバイトせな!」という状況になりました(笑)。——ええ!もしかしてそれで辿り着いたのが…?USJのクルーでした。元々USJみたいな場所には興味ないタイプだったのに、たまたま友達に誘われて一緒に遊びに行ったら、めちゃくちゃ楽しくて!ちょうどバイト探し始める時期だったので、クルーを募集していると知って、すぐに応募しました。働き始めた結果、クルーの仕事が楽しすぎて、クルー一本になり、気づけば11年の月日が流れていました。Webデザイナーになろう思てバイトしてはずやのに(笑)。——11年もクルーをされてたんですね!僕は飽き性なんですけど、毎シーズン内容が変わるパレードの部署だったからかな、ちゃんと続きました。働いてるのか遊んでるのかようわからんけど、お給料もらえるし楽しいし。天職でしたね!今僕が移住相談で雑談を大切にしているのも、USJでの経験が大きいと思います。たくさんのお客さんと日々接する中で「人に興味を持って聞く」ことを大切にしていて。「どうしたのかな?」「今どう思ってはるんやろう?」って、お客さんのことを考えながら働いてました。コロナ禍をきっかけにUSJを退職し、日本一周の旅へ。 ——そんなに大好きだったクルーを辞められた理由は…?コロナ禍です。当然パレードは休止で、他のアトラクションへの異動も打診されました。でもアトラクションには心が動かなくて。やっぱり僕はパレードが好きだったんです。それで、辞めることにしました。それなりに蓄えもあったので、しばらくは働かず、家にこもっていました。コロナ禍だし。でもコロナが終息してきたタイミングで、何もすることがなくなってしまって。——引きこもりを脱した時と同じフレーズですね(笑)。そうそう(笑)。以前自転車で琵琶湖を一周したことがあって、その時にしんどいながらも「誰かにお金を払っても得られないのが経験」だと感じたことを思い出したんです。それで、とりあえずそろそろ動こうと決心して、まず考えました。10年後できへんことって何やろう?って。当時僕は30代半ばだったから、50代手前になってからやるにはしんどそうなことって考えた時に、「車中泊しながら日本一周なんて、無理ちゃう?」と思い立ち、日本一周車中泊の旅に出ることにしました。何度も挫けそうになりながら、自転車で琵琶湖を一周した経験は宝物全国に住む友人を訪ねながら、毎日「今日はどこに行こう?」とワクワクする日々なにわナンバーの相棒と共に、来る日も来る日もドライブをし、西予にたどり着いた たわいもない雑談に付き合ってくれて、今。——西予市にはどんなきっかけで?本当は、西予市に寄る予定じゃなかったんですよ!たまたま南予で1泊延泊することになって、どこ行こうかな〜って地図を眺めてたら、地図に表示されていた西予市がめちゃくちゃデカくてびっくりして。興味を持って行ってみることにしたんです。それが、西予市との偶然の出会いです。西予の卯之町の町並みにあった休憩所に立ち寄った時、出会った人がまた親切で、あたたかくて。「こんなにええ人おるんや!」って(笑)。見ず知らずの僕の雑談をずっと真剣に聞いてくれたんです。結局「人」に魅力を感じて西予市に移住して、気がついたら移住相談にのる側になってました。 地域おこしをする人を、連れてくる役。 ——最後に、相談員としてやりがいを感じる瞬間と、これからやりたいことを聞かせてください! 西予市に来た方が地域で活躍しているのを見る時ですね。近況を聞いて「地域で(が)いい感じになってるな」とわかる瞬間が一番うれしい。 僕は「地域おこし協力隊」というより「地域おこしをする人を連れてくる協力隊」だと思ってやってきたので。これからも西予市に合う人をお繋ぎしたいです。 気になっている方はぜひお気軽にご相談ください。移住のことだけじゃなく、雑談からでも全然いいので!編集後記この記事を書くために、インタビューの録音を何度も繰り返し聴きました。何度も聞いた同じフレーズ、それでも飽きない語り口。田中さんは、やっぱり話し上手。けれども、移住相談のときはいつも聞き役に徹していて、ゆるい雰囲気。雑談している時の田中さんの眼差しの優しさは、かつて人間不信だった自分を受け入れて、それでも人を好きでいることを選んだ結果なのかもしれない、そんな事を思いました。「その人が幸せかどうか」を軸に、ぶれない先輩の背中を、私も追いかけ続けたいと思います。田中さん、ありがとうございました!