おおたに りえ大谷 りえ地域おこし協力隊前居住地:大阪府経歴:調理師→プー太郎→精神障害者の就労支援員→愛媛ミッションについて初めは、廃校になった小学校の利活用だったが、活動して行く中でより具体的な地域課題へ力を注ぎ、現在は関係人口創出、移住支援、廃棄食材と発酵食で叶える特産品開発を中心に取り組んでいる。西予市を選んだ理由or協力隊に応募しようと思ったきっかけ西日本豪雨をきっかけに、両親のみかん山も被害に遭い、母が『もう続けられないかも』と悲しんでいました。そこで、現れたのが大阪人の旦那さんです。旦那が『誰も継がないなら僕が継ごうか?』と言い出したことをきっかけに、家族で移住を決めました。たまたま2年間もの間、応募のなかった地元の協力隊の枠に応募でき、私は協力隊になれました。西日本豪雨になるずっと前から、明浜町の事を思い、もっとステキになるためにはこうしたら良いのになと思い描いていたモノが、協力隊なら叶うと思い、やりたい事を存分に挑戦させて頂きました。最高の地区に着任できました!西予市に来てよかったこと一生、大阪で過ごすと思っていたが、まさか大好きな故郷で暮らせる日が来るやなんて思っても見なかったので、住んでいるだけで最幸に幸せです。毎日がリゾート気分で、自然がたくさんあって、何より人が最高。小さな町、大きな家族。お裾分けで頂く美味しいモノのレベルが違うし、旬の野菜や果物をたくさん食べられるのが幸せです。思っていたのと違ったことや大変だったこと毎日、自炊をしないと、食べるものがないこと。コンビニも近くにないので買いに行けず、体調不良の際は、食料調達するのが困難。また、思っている以上に忙しくなったことも想定外でした。大阪では週3〜4日勤務だったのが、協力隊になると週5日勤務になるため、子育てしながら家事と仕事の両立が難しい時もありました。が、そこは旦那さんの家事力が上がり、協力しながら暮らすことで成り立ちました。また、子育て世代は病院、学校への距離も大事なポイント。今住んでいるところから、学校はバスで3分、保育園は車で5分、小児科は車で15分で到着します。習い事も意外と多くあり、英語や習字、サッカー、ダンス、ピアノなど。恵まれた環境に感謝です。どういう生活スタイルに変わったのか以前は、会社勤めだったため、旦那さんの帰りは早くても19時でした。今は、みかん農家になり明るくなれば働き、夕暮れと共に仕事を終えるようになりました。保育園児のお迎えは旦那さんが行き、夜は一緒にお風呂や夕飯の時間を過ごせるようになりました。1番大きく変わったのは家族の時間が増えたことです。今の暮らしになって叶ったこと家族の時間が増えたことで、夫婦の仲も深まり、家族との幸せの時間を手に入れることができました。夏は海水浴へ、水着を着て行き、帰りはそのまま車に乗り込んで、家でシャワーを浴びる。夏は毎週末、海で遊ぶことが家族の楽しみになっています。また、大好きな町をこのまま限界集落になるのを黙ってみていることしか出来なかったのが、実際に移住支援を行い、都会から明浜町へ移住してくださった方が5名に増えました。私たち家族と合わせると合計12名。こうやって、一人一人の人生に寄り添って、その人の人生がより豊かになる暮らし、仕事、住まい、これらをマッチングしていくことが私の心震える志事だと思いました。100年後も元気な町、【明浜町】になりますように。諦める事なく、仲間と共に突き進みたいです!これから叶えたいことまずは、自分自身の事業である、【一家に一糀】を達成するため、糀調味料の販売と普及活動に取り組む事です。この3年間で、大切な仲間と出会い、加工場をリフォームすることができました。ここを拠点に、産業作りの土台を作り、移住者獲得を目指します。また、明浜町でしか叶えられない体験×発酵食を、アクティビティとして浸透させたいと思っています。地域組織かりとりもさくの会では、都会から修学旅行生の受け入れを行い、ありのままの自然が財産と気付き、田舎体験としてサービスを提供しています。そこに、体験と食事が合わされば、より一層記憶に残るものが提供出来ると思っています。例えば、農家しか行けない絶海段々畑スポットで発酵ピクニックや体に優しいおやつとコーヒータイムなど。この町を、唯一無二の体験型癒しスポットにして、障害があっても、ターミナルケアになっても、どんな方も楽しめる明浜町にしたいという大きな夢を持っています。instagramhttps://www.instagram.com/riesimesi999?igsh=MTBzOWlud2Q2ang4eA%3D%3D&utm_source=qr